【10月6日(金)晴】栗林公園
うどん屋でのランチ後は栗林公園に移動、東門で車から下ろしてもらい一人で公園を見学する。
|
栗林公園東門。 |
栗林公園は
|
案内図をクリックすると別ウインドーで拡大表示します。 |
公園の名前が栗林なのに松の木ばかりが目立つ園内。
|
商工奨励館前のヒマラヤ杉。 |
|
商工奨励館。 |
商工奨励館本館の二階にはジョージ ナカシマの作品が展示されている。
|
商工奨励館本館二階のジョージ ナカシマの作品群。 |
商工奨励館の前から左回りに南底を回る。
松が五本立っているが嘗ては6本あった「お手植松」。
|
お手植松。 |
これらの松を植えた人と時期は写真左から以下の通り。
・能久親王妃富子(北白川宮/1925[大正14] 年)
・エドワード8世(皇太子のとき/1922[大正11]年)
・雍仁親王(秩父宮/1914[大正3]年)
・昭和天皇 (1914[大正3]年)
四本目の松の右側に重なって見えるのが、
・宣仁親王(高松宮/1914[大正3]年)
説明板に『園内一美しい……』とある鶴亀松は110個の石を組んで模った亀の上で舞う鶴を現している。
|
鶴亀松。 |
箱松は箱の形をした松で長年の手入れの結果、屏風松とも呼ばれている。
|
箱松。 |
|
北湖。 |
北湖畔に建つ茶室は日暮亭。
|
日暮亭。 |
日暮亭から紫雲山に向かうと奇岩怪石を積み上げた会僊巌(かいせんがん)に出る。
ここから西湖対岸に見える崖に穿たれた窪みが見える。この窪みは爛柯石屋(らんかせきおく)と呼ばれ、代々の高松藩主が夏に涼をとるためにここで碁を楽しんだそうだ。
|
爛柯石屋。 |
|
西湖の睡蓮。 |
|
亀の影で見えた意外に浅い西湖の底。 |
嘗て前掲の日暮亭が建つ場所にあった「考槃亭」をここに移築「日暮亭」とした。後に園外の私人の手に渡るなど変遷を経て、1945(昭和20)年に再び園内に戻り「新日暮亭」として再生した。歴史的経緯を踏まえて現在は「旧日暮亭」としている。ややこしい。
|
旧日暮亭。 |
爛柯石屋の左手に落ちる細い滝は桶樋滝(おけどいのたき)でこれは西湖の水をポンプアップしている人工滝だそうだ。
|
桶樋滝。 |
涵翠池に回ると池の向こうに掬月亭の端正な姿が見える。
|
涵翠池と掬月亭。 |
涵翠池を覗いていたら池の主のような人面の鯉が上がってきた。
|
人面鯉。 |
掬月亭を回り込むと南湖に出る。
|
南湖。左奥に見える屋根は掬月亭。 |
南湖の奥、吹上まで進むと。
|
吹上からの偃月橋(えんげつきょう)。 |
吹上から小松亭の横を抜けると古理兵衛九重塔の前に出る。
この塔は初代藩主松平頼重が1647(天保4)年にお庭焼きとして京都から招いた紀太理兵衛が焼いたもの。
|
古理兵衛九重塔。 |
南庭を一巡して北庭へ。
芝生広場のはずれに松平頼壽像があるが、盆栽の興隆と普及に努めた人らしい。
|
松平頼壽像。 |
松平頼壽像の背後に広がる枯れた蓮池は芙蓉沼、奥に香風亭の屋根が見える。
|
芙蓉沼と香風亭。 |
芙蓉沼の東に広がるのが群鴨池でその先が東門に通じている。ここはその名の通り代々の藩主が鴨猟をした鴨場跡。
|
群鴨池。 |
東門前で待ち合わせたビルの車で彼の家まで戻り、恭子夫人の手料理で晩飯をご馳走になる。
|