【10月20日(土)晴】タイパ村
一夜明けたコタイの朝をホテルの窓から確認、曇り空。
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ホテルの窓から。 |
朝食は一階のレストラン "Grand Orbit" で。
部屋を出るときに部屋のカードキーが見当たらない。
そのまま部屋を出て食堂に向かったのだが、食事を終わる頃になって気になってきた。同宿の三澤さんからキーを借りて部屋に戻り、あちこち探して出てきたのはバックパックの隠しポケットから。
無くしてはいけないと思って、昨夜このポケットに入れたのを忘れていた(涙)。
この鍵、見つかったのは好いが効かなくなっている。ポケットの口を塞いでいる磁石が原因のようだ。
一階のフロント・カウンターで作り直してもらう時にパスポートの提示を求められたが、当然だがパスポートは部屋の中。フル・ネームと生年月日で本人確認、無事再発行。
10年前には行く機会が無かったタイパ村とタイパの中心部へ向けてホテルを出る。
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ホリデイイン・コタイ・セントラルの中央玄関。 |
ホリデイイン前の路氹連貫公路(Estr. do Istmo)を渡り、ヴェネチアン・マカオ・リゾートホテルの中を西側に通り抜ける。
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ホリデイイン前の路氹連貫公路。 |
ヴェンベチアン・ホテルを通り抜けたところで望得聖母湾大馬路を渡る。
動く歩道が付いた全長350メートルのタイパ・コタイ連絡路を経由してタイパ村へ向かう。
タイパ・コタイ連絡路のタイパ側の際に建つ嘉模会堂(カルモ・ホール)は一見史跡に見えるがレンタルの集会所らしい。
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嘉模会堂(カルモ・ホール)。 |
この辺りはアップダウンが激しく、上ってきた道を嘉路士米耶馬路(AV. de Carlos da Maia)で下って兵房斜巷(Calçada do Quartel)に出る。
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兵房斜巷(Calçda do Quartel)。 |
兵房斜巷の緩い下りを進んで施督憲正街(R. Direlta Carlos Eugenio)に出ると、ここも古い街並みだ。
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施督憲正街(R. Direlta Carlos )。 |
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施督憲正街で見つけた路地。 |
タイパ村のメインストリート官也街(Rua do Cunha)への目印、旺記咖啡(Cafe Veng Kei)が見えてきた。
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旺記咖啡(Cafe Veng Kei)。 |
官也街(Rua do Cunha)は観光客でごった返しているのでタイパ村の周囲を巡る路地を抜けてタイパ中心部へ向かう。
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ここには営業を止めた店が並んでいた。 |
告利雅施利華街(R. Correia de Silva)に入ると人影が無くなった。
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人気の無い告利雅施利華街。 |
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野ざらしの地蔵尊、月老公、関羽達。 |
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ファドが流れてきそうな路地。 |
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告利雅施利華街の外れの巨木。 |
マカオ運動場(Estadio Campo Desportivo)の横を回り、奥林匹克大馬路(Av. Olimpica)を渡ってタイパ中心部に入る。
タイパ中心部に入って、どの角を曲がっても古い街並みは一切なく高層アパートが林立している。
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高層アパートが並ぶタイパ中心部。 |
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小高い丘に向かって立ち並ぶタイパ中心部のアパート群。 |
ランチの店を探しながら奥林匹克大馬路まで戻り、たまたま見つけた松花湖水餃へ。
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松花湖水餃店内。 |
歩きづめだったので、席に案内されて先ずビール(30HK$/420JPN)を注文。
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頼んだのはご当地ビール。 |
韮菜合子(55HK$/770JPN)はたっぷりの油でサット炒めた韮が包んであった。これを三澤さんとシェア。
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韮菜合子がビールに合う。 |
黒橋街(R. da Ponte Negra)を抜けるとコロニアル様式の建物と赤いテントの前に出た。建物のファサード一番上に「邊那總監大廈」とあるが、境界総督府みたいな物だったのか。
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コロニアル様式の建物(左)と赤テント群。 |
赤いテント郡は夜店用のテントのようだ。
テントの横をすり抜けると、今朝パスしてきた官也街の入り口だった。後日、赤いテントはタイパ・サンデー・マーケットだと分かった。
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官也街。 |
官也街を抜けて旺記咖啡の前を抜け施督憲正街を突っ切って正面の階段を上ると嘉模会堂の裏に出る。これでタイパ村とタイパ中心部をグルリと回って来たことになる。
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嘉模会堂。 |
ここからは来たときの道を逆に辿り、歩く歩道が設置されているタイパ・コタイ連絡路、ヴェネチアン・マカオ・リゾートホテルを通り抜けてホリデイイン・コタイ・セントラルに戻る。
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タイパ・コタイ連絡路の動く歩道。 |
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