【6月23日(土)】九品寺 八幡宮の前から453号路を900メートルほど北に行くと左手の濃い緑の中に九品寺の赤い大門が見えてくる。
九品寺、山号は鴫尾山(しぎおさん)。
明治の神仏分離政策は九品寺にも影響をもたらし一層の荒廃が進んだという。第二次世界大戦後には現在の仁王門が残るのみとなったようだ。
大門を入ると左右に緑が迫る細い参道が奧に向かっている。
参道の途中右手に古い石段があり、登って行くと門柱に「白河天皇勅願道場」の看板が掛かっている。
門を入ると直ぐ右手に朽ちかけた鐘楼があり鐘が下がっていた。奥は宿坊のようだ。
宿坊の門から参道に戻りさらに奧に進む。周囲の空気がだんだん怪しげになってきた。
小さな石垣の上に観音像が建っている場所に出た。何だろう?
近づいて見ると野ざらしなのに痛んでいない。さほど古い観音像ではないのだろう。
観音像の右側に建つ碑に「船坂観音霊場」とある。ここが霊場ということか。
観音像の前を通ってもう少し登って行くと周囲に小さな像が並んだ開けた場所に出た。
奧に白く石碑が見える。碑に刻まれた説明によると、ここは昭和の末に四国八十八カ所に因んで設けられた霊場のようだ。 ここに並ぶ小さな像は観音像でそれぞれに四国八十八カ所の霊場の名が刻まれている。
この奧には宮内庁が管理している九品寺中興の祖と言われる白河天皇第二世門跡覚行法親王の宝篋印塔や九品寺本堂があることを後で知った。
昼過ぎに園部駅に着いてから予定が詰まって忙しい寛さんに無理を押して半日で案内して頂いた園部町宍人の史跡だった。
摩気神社、太郎兵衛の墓、宍人城址、九品寺などなど、十分に見ることができなかったが、何時か時間に余裕を持って再訪したい。 |