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  2012年6月:園部・宍人
6月23日6月24日地図
園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

【6月23日(土)】九品寺

八幡宮の前から453号路を900メートルほど北に行くと左手の濃い緑の中に九品寺の赤い大門が見えてくる。

濃い緑を背景にした大門。

九品寺、山号は鴫尾山(しぎおさん)。
その縁起は弘法大師が36歳のとき、弘仁元(810)年に開いた寺と伝えている。さらに承暦3(1079)年に白河天皇が行幸し皇子の覚行親王を中興の祖として復興したという。
戦国時代には一度衰微したが、元和9(1623)年に園部藩主小出吉次が再興している。

参道から。

明治の神仏分離政策は九品寺にも影響をもたらし一層の荒廃が進んだという。第二次世界大戦後には現在の仁王門が残るのみとなったようだ。

戦前戦後を通じ多くの寺宝が流出したのは有名な話のようで、寺宝の一部はアメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されているそうだ。

大門は国の重要文化財に指定されている。

大門の左右にある阿形像と吽形像。

大門を入ると左右に緑が迫る細い参道が奧に向かっている。

奧に向かって少しずつ登る細い参道。

参道の途中右手に古い石段があり、登って行くと門柱に「白河天皇勅願道場」の看板が掛かっている。

「白河天皇勅願道場」の看板が掛かる門。

門を入ると直ぐ右手に朽ちかけた鐘楼があり鐘が下がっていた。奥は宿坊のようだ。

朽ちかけた鐘楼と鐘。

宿坊の門から参道に戻りさらに奧に進む。周囲の空気がだんだん怪しげになってきた。

怪しげな空気が漂ってきた参道。

小さな石垣の上に観音像が建っている場所に出た。何だろう?

石垣の上の観音像。

近づいて見ると野ざらしなのに痛んでいない。さほど古い観音像ではないのだろう。

どんないわれがある観音像なのか。

観音像の右側に建つ碑に「船坂観音霊場」とある。ここが霊場ということか。

船坂観音霊場の碑。

観音像の前を通ってもう少し登って行くと周囲に小さな像が並んだ開けた場所に出た。

小さな像に囲まれた開けた場所が霊場?

奧に白く石碑が見える。碑に刻まれた説明によると、ここは昭和の末に四国八十八カ所に因んで設けられた霊場のようだ。 ここに並ぶ小さな像は観音像でそれぞれに四国八十八カ所の霊場の名が刻まれている。

小さな観音像はさらに奧に向かって並んでいるがそろそろ寛家に戻らなければならない時間になってしまった。

観音像はさらに奧に向かって並んでいる。

この奧には宮内庁が管理している九品寺中興の祖と言われる白河天皇第二世門跡覚行法親王の宝篋印塔や九品寺本堂があることを後で知った。

帰りは動画を撮りながら下りてみた。

昼過ぎに園部駅に着いてから予定が詰まって忙しい寛さんに無理を押して半日で案内して頂いた園部町宍人の史跡だった。

霊場から俗界に戻る。

摩気神社、太郎兵衛の墓、宍人城址、九品寺などなど、十分に見ることができなかったが、何時か時間に余裕を持って再訪したい。

園部城址摩気神社太郎兵衛の墓宍人城址・八幡宮九品寺

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