【6月23日(土)】宍人城址・八幡宮
太郎兵衛の墓所から山道を下り、寛さんが指さす先を見ると濃い緑の上にチョコンと小山が飛び出している。
『 あの山の上に小畠太郎兵衛の居館跡(宍人城址/小畠城址)があります。グルッと回って山の裏側に回りましょう』と寛さん。
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宍人城址があると言う小山。 |
摩気小学校前で本梅川の手前を右折。川に沿って400メートルほど進んだところにある宍人公民館の横に車を置いて公民館前の細い山道を登る。
山道は直ぐに藪漕ぎ状態になり、足元は昨日降った雨のせいかえらく滑りやすい。車から降りると寛さんがゴム長靴に履き替えた意味が分かった。
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藪を漕ぎながら先を行く寛さん。 |
ようやく開けたところに出た。地図に園部町宍人平とあるあたりだ。
寛さんは『ここは主城郭より一段低い所で、家臣の住まいがあったのではないかと思われます』と教えてくれた。
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家臣の住居があったと思われる場所。 |
さらに登って行くとまた平らな場所に出た。家臣の住居痕があったと思われる場所とは異なり一面木立が生えていて往時を想像しにくい。
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落ち葉が敷き詰め歩く度に足元が沈む。 |
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溝のように見えるくぼみもあるが何の遺構だろう。 |
但馬出石から園部へ移封された小出吉親がその居城(園部城)が完成する元和5(1619)年までの二年間、この宍人城の一角に逗留している。
ここが宍人城址と言われているようだが、実際は小畠一族の屋敷跡(小畠太郎兵衛屋敷跡/宍人城跡・宍人館)であったらしい。ここから南西の方角に直線距離で500メートルほどの小高い場所に本来の宍人城があったという。
小畠一族の屋敷跡から北に直線距離で250メートル、454号線から引っ込んだ形で「斧峠」という地名があるが、ここが小学生の頃の我が家の本籍地《京都府船井郡摩気村字斧峠二十番地》だった所だ。
城址の外れまで進んで行くと木立がきれ崖の上に出た。目の下に嘗ての宍人村と本梅川が見える。
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崖の下に広がる嘗ての宍人村と本梅川。左端に見える青い屋根は摩気小学校。 |
宍人城址を下りて次ぎに寛さんが案内してくれたのは西山八幡宮。
本梅川に添って1キロメートルばかり北上し、453号路を左折する。八幡宮は道の西側、丘陵の端に杉木立に囲まれるようにして建っていた。
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本殿が円墳の上に建てられているように見える八幡宮。 |
西山八幡宮は寛さんによれば小畠太郎兵衛が現在の形に再興したのだという。小畠ゆかりの神社と言うことか。
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西山八幡宮。 |
八幡宮が創祠されたのは天永3(1112)年。祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと/第十五代応神天皇)らしい。摩気神社の東摂社に祀られた六体の祭神の一つであることからも、この八幡宮が摩気神社の分社であることが想像できる。
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本殿は急な石段の上にある。 |
最後の修復時に本殿の屋根は檜皮葺になったが、それまでは茅葺きだったと寛さん。
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