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       【8月14日(水)薄曇り】ワット・プレア・エン・コサイ 
              川沿いに 400メートルも歩かないうちに欄干にナーガを配した橋の前に出る。 
      
         
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          | シェムリアップ川に架かるナーガの橋。 | 
         
   
      橋のたもとに立つ黒御影石の碑は……  
      
        
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          | 橋のたもとに立つ黒御影石の碑。 | 
         
       
              各行末にRと$がついた数字が並んでいる。Rはカンボジアの通貨単位リエル、$はUS$だろう。この橋を修復したときの寄進者のリストなのだろうか。 
      
        
          
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            | 行末にRと$がついた数字が並んでいる。 | 
           
        
     
       
      
        
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          | 碑の前のシンハ。奥のリアカーはパンク修理屋さんだった。 | 
         
   
      橋に正対して建つのが、先ほど学生が教えてくれた寺院だろう。 
         
        ここが「ワット・プレア・エン・コサイ」なのか、さきほど、地元の人に寺の名前を確認した時に何故「ワット・プレア・エン・コサイ」で頷いたのか、この二つの寺院は同じ名前なのだろうか。 
         
        謎が解けないまま寺院の門をくぐる。 
      
        - この寺院を出てから昼食に入った食堂のスタッフに、先ほどの寺院がワット・プレア・アン・カウ・サー(Wat Preah An Kau Saa)、ここがワット・プレア・エン・コサイ(Wat Preah En Kosey)だと教えてもらった。
 
       
      ◆ ワット・プレア・エン・コサイ(Wat Preah En Kosey)  
         
        インターネット上にも少ないこの寺院の情報を纏めると、創建の時期は十世紀半ば、ラージェンドラヴァルマン二世(在位944-968)の治世下、ラージェンドラヴァルマン二世の娘を娶ったバラモン(司祭)階級のディヴァカラバータが建てたヒンドゥー教の寺院だということだ。 
         
        この寺院も門の周辺にアルファベット表記の案内が見当たらないが中に入ってみる。 
      
        
          
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            | 橋に対面している西門。 | 
           
        
 
      西門を入った直ぐ右手、寺院と同じ敷地に柵で仕切られているのはプレア・エン・コサイ小学校。 
      
        
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          | 校庭で遊ぶ子供たち。 | 
         
       
      境内の中央に可愛らしく並んで建つのは僧侶達が起居している僧院。 
      
        
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          | 双子の僧院。 | 
         
       
       
      
        
          
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            | 左右の房を繋ぐ屋根に鹿と像を従えた僧が立っていた。 | 
           
        
     
      僧院の右奥にある金ピカのお堂は、創建時の基壇の上に建てられた本堂で、先ほど見て来たワット・プレア・アン・カウ・サーの本堂に似て端正な姿をしている。 
      
        
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          | こちらの本堂も端正な姿をしている。 | 
         
       
      本堂の裏には煉瓦造りの二基の祠堂と赤い仏塔が一基残っている。 
        二基の祠堂は修復されたものではなく十世紀中頃に創建されたオリジナルがそのまま残されている貴重な遺跡で、仏塔は後世のものだろう。 
      
        
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          | 二基の祠堂と仏塔(左端)。二基の祠堂の扉は偽扉。 | 
         
       
      祠堂の裏(東側)に回ると祠堂の他に往時の遺構も残っている。かつてはこちらが正面だったのかもしれない。  
      
        
          
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            | 祠堂東側の遺構。 | 
           
        
     
       この祠堂が貴重なのは南端に建つ一番大きな祠堂の楣(まぐさ)に乳海撹拌のレリーフが鮮明に残っていること。 
         
        他に乳海撹拌のレリーフが残っているのはシェムリアップ周辺では四ヶ所のみで、他にアンコール・ワット、ベン・メリア、プリア・ヴィヘアがあるのみ。 
        
          - アンコール・ワットを訪れたときは、乳海撹拌のレリーフの前は見学する観光客が多すぎて、写真を撮ることができなかった。
 
         
      
         
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            | 左端(南側)の祠堂の楣(まぐさ)に注目。 | 
             
         
      乳海撹拌は「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の中で語られているが、その概要は次の通り。 
      
        ● 乳海撹拌 
           
          太古、不老不死の霊薬アムリタをめぐり、神々とアスラ(悪鬼)が壮絶な戦いを繰り広げていたが、両者は疲労困憊し、ヴィシュヌ神に助けを求めた。 
          それを受けてヴィシュヌ神はこう言った。 
          『神々と悪鬼の両者で大海を撹拌すれば、アムリタが出現するであろう。大海を撹拌せよ、そうすれば一切の薬草、一切の宝石を得た後、アムリタを得るであろう。』  
          ヴィシュヌ神は多種多様の植物や種を乳海に入れた。続いて巨大亀クールマとなって海に入りその背にマンダラ山を乗せた。 
          マンダラ山に竜王ヴァースキ(ナーガ)を絡ませて神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあって山を回転させると海がかき混ぜられた。 
          あまりにも強く引っ張られたために、ヴァースキが口からハラーハラという猛毒を吐き始めた。この猛毒は全世界を焼き尽くすほど凄まじいものだったが、シヴァ神がその毒を全て飲み干したために世界は救われた。 
          シヴァ神の喉はこの毒のために青くなってしまった。 
          そしてマンダラ山がその重みで海底に沈んでいった。 
          神々がヴィシュヌ神に救いを求めると、ヴィシュヌ神は巨大亀クールマに化身してマンダラ山の下に入り山を支えた。 
          大海の撹拌が進むと海中の多くの生物が死に絶えた。 
          木々が擦れ合って山火事が起き、マンダラ山に住む生き物たちが焼け死んだ。 
          インドラ神は雨を降らせてその火を消したが、このとき、木々のエキスや多くの生き物の死骸が大海に流れ出て溶け合い海は乳色に変わっていった。 
          しばらくして良質のバターであるギーが湧き出て、そこからヴィシュヌ神の妃ラクシュミー、神酒ソーマ、太陽、月、宝石、家畜、白馬などが次々と現れ、ついにアムリタの入った白い壷を手にした医の神ダンワタリが姿を現した。 
          アムリタが出現すると神々と悪鬼の間でアムリタを巡って戦争が起こった。そしてアムリタは悪鬼の手に渡ってしう。 
          ヴィシュヌ神は絶世の美女に変身して悪鬼たちをたぶらかしアムリタを奪取する。 
          悪鬼たちは再び神々に襲いかかったが、この混乱の間に神々の全てはアムリタを飲み、不死の身体を得た。神々がアムリタを飲んでいる時にラーフという悪鬼が神に変装してアムリタを飲み始めた。 
          アムリタがラーフの喉に達したとき、太陽と月がそれに気付いて神々に告げた。 
          ヴィシュヌ神はこの悪鬼の首を円盤で切り落としたのだが、ラーフの頭は不死になっていた。 
          頭だけになってしまったラーフは太陽と月を恨み、今でもこの両者を追いかけて時々飲み込むが、身体がないために太陽と月はまたすぐに現れる。これが日食と月食である。 
          神々と悪鬼の戦争は続いたが不死となった神々が勝利をおさめ、マンダラ山を元の位置に戻し、アムリタを安全な貯蔵庫に移した。今も神々が命を保って世界に君臨しているのはこの乳海撹拌のおかげである(Wikipediaより抜粋要約)。 
       
      
        
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            | 祠堂の楣(まぐさ)に鮮明に残るレリーフ。 | 
             
         
      
      上の写真の上部を拡大すると、中央の巨大亀クールマの上で撹拌棒に手を掛けてヴァースキにまたがっているヴィシュヌ神が見える。 
      
        
          
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            | レリーフの乳海撹拌部分を拡大。 | 
           
        
 
              真ん中の祠堂の入り口の前は供えられたロウソクの溶け跡が白く垂れ、内部には後世に飾られたと思われる仏像が建っている。 
        こちらの楣のレリーフは劣化が激しく殆ど消えかかっている。 
      
         
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          | 入り口には供えられたロウソクが溶けた跡が溜まっている。 | 
         
   
       
      
         
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          祠堂の内部に祀られた仏像と頭部。 
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      真ん中の祠堂の東側、木立の下にかつてはこれも祠堂だったのか、赤煉瓦で組まれた基壇だけが残されている。  
      
         
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          | 木立の下に残された赤煉瓦の基壇。 | 
         
       
      仏塔の直ぐ北側にかろうじて残っている地表の凹みは、かつての環濠の跡。 
      
        
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          | 僅かに残る環濠の跡。 | 
         
       
      環濠跡のさらに奥には背丈ほどの仏塔が群れていた。 
      
        
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          | 環濠奥の仏塔群。 | 
         
       
      寺院の北外れで新しい三棟のお堂の建設が進んでいる。その形はタイでモンドップと呼ぶ仏像を安置するお堂のようだ。 
      
        
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          | 建設が進む三基のお堂。 | 
         
       
      建設中のモンドップ前に地元の人達が出入りしているお堂がある。 
        入り口の左右に立つ二体の像はタイでキンリーと呼ぶ像に好く似ている。 
        モンドップもキンリーもシェムリアップでは見たことがなかったが、この寺院で始めて見た。 
      
        
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          | お堂前に立つ二体のキンリー。 | 
         
       
      キンリーのお堂の入り口で履き物を脱ぐ。 
        扉の前の狭いスペースに七体もの仏像が安置されていたが、モンドップの完成を待つ仮住まいなのかも知れない。 
      
        
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          | 仮住まいの仏像達。 | 
         
       
      扉の奥はタイル張りの広い部屋で中央左の壁際に座った僧侶の周りに人が集まっている。  
      
        
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          | キンリーのお堂の内部。 | 
         
       
      僧侶は集まった人達に占いをしているのか、人生相談を受けているのか、皆熱心に耳を傾けていた。 
      
        
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          | 僧侶を囲む人達。 | 
         
       
      ワット・プレア・エン・コサイを出るとちょうど昼時になっていた。
       
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