【6月25日(月)】水分神社(みくまりじんじゃ)
さこやの前の道(15号)を登り257号への分岐点を越えて50メートルばかり先、右手に見える細い道に入って、後は登り続けるばかり。急な曲がり角に古い石段と赤い鳥居が見えてきた。
正明くんが最初に案内してくれたのは吉野町子守地区(吉野山上千本)にある水分神社。仮名が降ってないと「みくまり」とは読めないが教えられれば、なるほどと納得「みずくばり
→ みくまり」か。
石段横の縁起には「『水配』」が『みくまり』、『みこもり』、『こもり』となまって子守明神と呼ばれるようになり、子授けの神として信仰を集めるようになった」とあり「本居宣長の両親が子守明神へ祈願したところ本居宣長が授かったと伝わっている」とある。
平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになり、豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれている。現在の社殿は慶長10(1605)年に秀頼によって建てられたものである。
2004年7月にユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。
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水分神社の鳥居。 |
縁が磨り減った石段を登って国の重要文化財に指定されている桜門の前に立つ。
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重要文化財に指定されている桜門。 |
桜門の庇の下に色が褪せ始めた彫り物が三体……
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中央が「龍」。 |
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左が「虎」。 |
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右はなんだろう「麒麟」のつもりかな? |
この神社がいつ頃建てられたのかは分かっていない。「続日本紀」の文武天皇2(698)年4月29日条に出てくる「芳野水分峰神に馬を奉り祈雨した」という記述が最も古い記録だそうだ。
桜門をくぐった境内は左手の回廊と右手の社殿に囲まれてシューボックス型と言ったらいいような四角形をしているのが珍しい。
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箱形をした境内。 |
境内左手(社殿の対面)に伸びる白木の回廊と、回廊一杯に跳ね上げられた蔀戸(しとみど)は他の神社では見たことがない。
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回廊と蔀戸。 |
回廊の手前と奧にそれぞれ一基ずつひどく痛んだ御輿が安置されている。これらの御輿は豊臣秀頼の寄進になるもので、御輿の前には「豊臣秀頼公寄進の四百年前の御輿です。大変毀れやすくなっています。決してお手を触れないで下さい」と書かれている。
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豊臣秀頼寄進の御輿。 |
縁起によれば正殿には水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を、左殿には高皇産霊神(たかみむすひのかみ)・少名彦神(すくなひこなのみこと)・御子神(みこがみ)を、右殿に天萬栲幡千幡姫命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)・瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が祀られているそうだ。
右殿(向かって左)に安置されているる木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)の坐像は鎌倉時代の作と言われる国宝で、神社のご神体であるために一般には公開さたことがなく、展覧会などにもに出品されたことがないそうだ。像内に建長3(1251)年の銘があるという。
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本殿も重要文化財に指定されている。 |
境内の一番奧には太い桜の木があった。花が咲く時期はこの広いとは言えない境内もきっと華やいだ空気に溢れるのだろう。
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境内の奥にあった桜の木。 |
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